2009年06月24日

国際宇宙ステーション

国際宇宙ステーション(こくさいうちゅうステーション、International Space Station、略称ISS)は、2010年の完成を目指して、アメリカ、ロシア、日本、カナダ、欧州宇宙機関(ESA)加盟11カ国が協力して建設を進めている宇宙ステーションである。

地上から約400キロメートル離れた地球周回軌道(地球低軌道)上に浮かび、地球や宇宙を観測し、また、宇宙環境を利用したさまざまな研究や実験を行うための巨大な有人施設である。約90分で地球の周りを一周する。

軌道上での組立は1999年に開始された。2010年4月に完成し、2016年までの運用が予定されている。運用完了までに要する費用は1540億USドルと見積もられており、ISS計画はこれまでの人類史上で最も高価なプロジェクトである。

1988年9月に締結された政府間協定[1]により、ISS計画の参加国は、アメリカ、ロシア、カナダ、日本、ESA加盟の各国(ベルギー、デンマーク、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ノルウェー、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス)の15カ国と定義されている[2] 。これとは別に、ブラジル宇宙機関がアメリカと二国間協定を結んで参加している。また、イタリア宇宙機関はESAを通じてだけでなく、NASAとの直接契約で多目的補給モジュールを開発している。

中国はISSの参加を打診[3]したことがあると発言しているが、2008年6月現在は実現していない。インドもISSへの参加を希望しているが、他の参加国の反対に遭い、ロシアに協力を求めている[4]。

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国際宇宙ステーション計画が最初に持ち上がったのは、1980年代初期のレーガン米大統領による冷戦西側各国の宇宙ステーション「フリーダム計画」で、西側の結束力をアピールしてソビエト連邦に対抗する政治的な意図が非常に強いものであった。搭乗人数は出資比率によって定められたが、米国、欧州、カナダ、日本の飛行士がそれぞれ、必ず年間を通して滞在できることになっていた。しかし、米国や欧州の財政難、スペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故、続く冷戦終結による政治的アピールの必要性低下によって計画は遅々として進まなかった。計画は「アルファ」に変更、ステーションの規模も大幅に縮小され、米国を含めて搭乗人数を削減し、各国の滞在期間も短縮した。

一方、ソ連は「サリュート」に続く宇宙ステーション「ミール」による宇宙滞在を実現していたが、1991年末のソ連崩壊による混乱と財政難で、ミールは宇宙空間で劣化した。米国はロシアを取り込む目的もあって、アルファとミールを統合する計画を持ちかけたが、ロシアは新しいモジュール「ザーリャ」(ミール2)他を打ち上げる意欲を示した為、完全な新型宇宙ステーションとしてISS計画が開始した。しかし、ISS計画ではロシアの発言力が非常に大きくなり、常時ロシア人飛行士が滞在することとなった為、日欧加飛行士の滞在期間や搭乗人数は増加しなかった。

2009年06月09日

日本政府は終戦によって軍人や強硬派政治家

日本政府は終戦によって軍人や強硬派政治家・官僚が失脚し、吉田茂(外務大臣、後首相)など国際協調派が主導権を握った。吉田らは健全な戦後復興のために、高額賠償金の支払いや領土分割を回避する「寛大な講和」を勝ち取ることを考え、日本政府が「よき敗者」として振舞うことに注力し、非軍事民主国家建設によって国際的な評価を得るべく、連合国軍の政策はほぼ忠実に実行した。また、イタリアなどの枢軸諸国が早期講和によって賠償や領土割譲を要求されたことから、講和を急ぐことは「寛大」を勝ち得ないと判断し、占領期間を引き延ばしながら、連合国に対して日本が有利になる時期を見計らった。

一方、冷戦の激化により、日本との講和もアメリカやイギリスなど自由主義陣営とソ連などの社会主義陣営の間で、主導権をめぐる駆け引きの対象となり、同時に非武装を国是とした日本の防衛をどうするかが大きな課題となった。米国内では、国防省は日本への軍の継続駐留を企図して、国務省主導の講和計画に反対した。日本政府は米国に対し、米軍の継続駐留・将来の日本の再武装を確認する取り決めを行い、見返りに米国の信託統治(後の分離独立を企図)下にある沖縄・奄美・小笠原に対する日本の潜在的主権を認め、「賠償請求権の放棄」「領土保全」「日本防衛の日米協力」を柱とした米国主導による「対日講和7原則」が決定した。
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1951年(昭和26年)の講和会議には英仏蘭の要求によって、各国の旧植民地も参加した一方、内戦で立場が微妙な「中国」(中華民国)と「朝鮮」(大韓民国或いは朝鮮民主主義人民共和国)は招かれず、ソ連は米国主導・中国(中華人民共和国)不参加に不満を持ち、講和阻止の活動を行った。また、旧植民地の東南アジア数カ国は、独立後の財源を確保するべく、「日本による侵略の被害者」を訴えて、賠償権放棄に反対したため、日本は2国間交渉によって賠償に応じ、国際社会に謙虚さをアピールした。

これらの結果、講和条約には会議参加52カ国の内、調印式典をボイコットしたソ連など3国を除く49カ国が調印し、対日国交回復した。条約により、日本は朝鮮半島の独立を承認、台湾・澎湖諸島の放棄、樺太・千島列島の放棄、沖縄・奄美・小笠原・南洋諸島のアメリカによる信託統治の承認、東京裁判の結果の承認を行った。同時に日米安全保障条約に調印してアメリカ軍の国内駐留を承認し、台湾島に拠点を移した中華民国の中国国民党政府を承認する日華条約を締結することで反共の姿勢を打ち出し、正式に西側陣営に組み込まれた。

主権回復した日本は、国際連合に加盟する為、ソ連との国交回復を1956年(昭和31年)11月に実現させ、ソ連の承認を受けて同年12月18日に国際連合に加盟、国際社会へ復帰した。その後は軍事的な対米従属の下で経済的繁栄を目指し、1970年代には主要先進国の一つとなった。同じく占領され、同時期に経済的繁栄を手にした西ドイツの主権回復は1955年、ソ連との和解は1970年、国連加盟は1973年であり、また講和会議は行われていない。

2009年06月06日

上野長野氏(こうづけながのし)は

上野長野氏(こうづけながのし)は、戦国時代まで上野国西部を支配していた大身である。上州長野氏とも。

『伊勢物語』の主人公であるとされる在原業平が、関東に下向したことが始まりであると言われているが、もとより伝承の域を出ない。

上野長野氏の第30代当主・長野憲業(または第29代当主の尚業)が名城・箕輪城を築城した。戦国時代中期まで上野国は関東管領の山内上杉氏の領国であり、守護代の長尾氏(白井長尾家、総社長尾家)の本拠地も上野に存在したため、長野氏はその上杉氏の下で上野国西部の豪族を取りまとめて『箕輪衆』を結成し、上杉氏・長尾氏に仕えていた。しかし、上杉氏と長尾氏が享徳の乱・長享の乱や長尾景春の乱などで衰退すると、長野氏は徐々に頭角を現し、河越夜戦で大敗した関東管領上杉憲政が北条氏康に敗れて上野国を追われた後も、長野氏当主の長野業正は箕輪衆を取りまとめて、婚姻政策などにより西上野の支配圏をなおも維持した。この業正に対し、北条氏康や甲斐・信濃を支配する武田信玄が上野西部に何度も侵攻して来るが、業正は寡兵でありながらこれを何度も撃退した。
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しかし1561年、長野業正が死去した隙を突いて武田信玄が上野西部に侵攻してくると、業正の子の長野業盛は頑強に抵抗したが、1566年に敗れて自害し、上野西部は武田氏の支配下に入ったのであった。

その後、長野氏の一族は武田氏の滅亡後、箕輪城に入った井伊氏に仕えることになり、井伊家の次席家老として転封に伴い滋賀県の彦根に赴き、幕末を迎えた。

長野氏の一族としては、鷹留長野氏、厩橋長野氏があるが、いずれも箕輪の長野氏と前後して没落している。

2009年04月22日

有機JAS規格

有機JAS規格では、以下のような天然に存在する物質の使用が許可されている(有機農産物の日本農林規格 制定:平成12年1月20日-農林水産省告示第59号、最終改正:平成18年10月27日-農林水産省告示第1463号[3])。

有機肥料の他に様々な無機肥料が認められる。それらは草木灰、炭酸カルシウム(苦土炭酸カルシウムを含む。)、塩化加里、硫酸加里、硫酸加里苦土、天然りん鉱石、硫酸苦土、水酸化苦土、石こう、硫黄、生石灰(苦土生石灰を含む。)、消石灰、微量要素(マンガン、ほう素、鉄、銅、亜鉛、モリブデン及び塩素)、岩石を粉砕したもの、塩基性スラグ、鉱さいけい酸質肥料、よう成りん肥、塩化ナトリウム、リン酸アルミニウムカルシウム、塩化カルシウム、などであり、有機肥料しか有機農業に用いられていないということは誤解である。

使用条件のついているものもあるが、使用可能な農薬は除虫菊乳剤及びピレトリン乳剤、なたね油乳剤、マシン油エアゾル、マシン油乳剤、大豆レシチン・マシン油乳デンプン水和剤、脂肪酸グリセリド乳剤、メタアルデヒド粒剤、硫黄くん煙剤、硫黄粉剤、硫黄・銅水和剤、水和硫黄剤、硫黄・大豆レシチン水和剤、石灰硫黄合剤、シイタケ菌糸体抽出物液剤、炭酸水素ナトリウム水溶剤及び重曹、炭酸水素ナトリウム・銅水和剤、銅水和剤、銅粉剤、硫酸銅、生石灰、天敵等生物農薬、性フェロモン剤、クロレラ抽出物液剤、混合生薬抽出物液剤、ワックス水和剤、展着剤、二酸化炭素剤、ケイソウ土粉剤、食酢の30種類である。

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特定非営利活動法人・日本有機農業研究会は、「有機農業の目指すもの」として、下記の項目を挙げている。

安全で質のよい食べ物の生産
環境を守る
自然との共生
地域自給と循環
地力の維持培養
生物の多様性を守る
健全な飼養環境の保障
人権と公正な労働の保障
生産者と消費者の提携
農の価値を広め、生命尊重の社会を築く
同会は「有機農産物の定義」として、「有機農産物とは、生産から消費までの過程を通じて化学肥料・農薬等の合成化学物質や生物薬剤、放射性物質、遺伝子組換え種子及び生産物等をまったく使用せず、その地域の資源をできるだけ活用し、自然が本来有する生産力を尊重した方法で生産されたものをいう」と定めている。


2009年04月19日

馬陵の戦い

馬陵の戦い(ばりょうのたたかい、中国語 馬陵之戰 Mǎlíng zhī zhàn)は中国戦国時代にあたる紀元前341年、魏と斉が激突した戦い。斉の圧勝に終わり晋の後継者として天下の覇国たらんとした魏はこの戦いをさかいに衰微してゆき、斉は秦と並び大陸を二分する大勢力へと成長してゆく。

事前の経緯
韓は桂陵の戦いで魏が敗退したのをみて斉と結び、魏と戦うことにしたが魏軍は韓の想像以上の底力をみせたため、韓は魏と五度戦って五度負けた。 逆に魏に滅ぼされそうになった韓は斉に援軍を求めた。斉の威王は信頼する孫臏を師将として派遣しようとしたが、孫臏はこれを断って田忌を推薦した。

田忌を師将とする斉軍は臨淄を発して魏に攻め込んだ。このため韓にいた魏軍は慌てて魏に引き返したため韓は救われた。

孫臏の計略
魏将の龐涓は、以前孫臏と同門で兵法を学んでいた。龐涓は魏の将軍であったが、自分の才が孫臏に及ばないことを知っていたため、孫臏が魏に仕官しにきたときに罠にかけて両足を切断し、黥(いれずみ)を入れる刑に処させた。しかし斉の使者が魏に来たとき、孫臏は計略を用いてひそかに魏を脱出した。こうして、孫臏は田忌の配下の軍師となった。

孫臏は魏に侵攻した斉軍に十万の竈を作るように命じて軍を退いた。翌日は五万の竈を、その次の日は二万の竈を作るように命じ、どんどん退却していった。斉軍を追う龐涓は斉の野営地跡の竈の数が徐々に減っているのをみて「斉軍は臆病なので、われわれが魏に戻ったことに怖気づいて脱走者が続出しているのだろう」と考えた。そこで龐涓は一刻も早く斉軍に追いついてこれを蹴散らそうと考え、兵の装備を軽くし、昼夜兼行で行軍させた。

孫臏は魏軍の進行速度を予測して、夕方ごろに馬陵に至るだろうと考えた。そこで樹木の木肌を削って白く塗り「龐涓此の樹下に死せん。」と大書し、周囲に設置した伏兵に暗がりの中で火が見えたら一斉に矢を放つように命じた。夕方になって馬陵にたどり着いた魏軍はこの樹木を発見して指揮官の龐涓に知らせた。龐涓は書かれた字を読もうとしたが、暗くてよく見えない。そこで火をつけさせて字を読もうとした瞬間、周りから一斉に矢が飛んできた。龐涓は「遂に豎子の名を成せり。」と言って絶命した。
ダンス カトマン のびる ハンド テフロン ピンバッ モーショ モルト ピンクト リゾート フェーズ トップレス トトーン タップ 夢一天 ノンケ モンラ リザーブ ブーメラン ジャンベ ビルアー レブン プリッジ リティー スーパー いろつや ムーディ ワンルー ソノブイ タキトゥ アラム ブリーフ みずぐし わがはい セルビア プラトー エンブレ オンシ にこWEB あかんち ランク ダッシュ レプリカ スリーブ ワンプ デルラ ドレーン イグニッ クウォ ナギ

魏軍は大混乱に陥って敗れ、太子申は捕虜となった。

事後
斉軍の司令官として戦功を上げて凱旋した田忌であったが、宰相の鄒忌の讒言によって威王に叛意を疑われてそのまま楚に亡命することとなった。

名将の龐涓を失った魏はこの戦いをさかいに国力が衰微し始め、秦の侵略を防ぎきれなくなってのちに魏の恵王は韓の昭侯とともに斉に従属することになる。

孫臏もこの戦いで復讐を終え消息を絶ち歴史上から姿を消した。一説によると兵法書を記していたとされている。

『戦国策』「巻23魏2斉魏戦於馬陵」によると、龐涓は斉軍に捕虜とされ太子申は戦死したと記されている。「戰于馬陵,魏師大敗,殺太子申、慮龐涓」(原文)。また、『孟子』によると、魏の恵王が晩年に孟子と会見した時に「私は先年、可愛い息子を陣没させ失ってしまった」と嘆いていたことが伝えられている。


2009年04月04日

ギリシア火薬

ギリシア火薬(Greek fire または Byzantine fire)は、東ローマ帝国で使われた古代の兵器である。「ギリシアの火」「ギリシア火」とも呼ばれる。後述の通り「水を吸って燃え上がる」ため『液火』とも呼ばれている。

7世紀後半にキリスト教徒のシリア人カリニコスが発明したといわれている(それ以前中東で発明され、カリニコスはそれを伝えただけという説もある[1])。空気に触れると着火する燃える液体で、ホースなどから発射し火炎放射器のように使用したという。言い伝えでは、この火は水中でも燃え続け、水をかけるとかえって燃え広がったとされている。

この液体の製法は東ローマ帝国の国家機密であったため門外不出とされていた。10世紀の皇帝コンスタンティノス7世は、息子のロマノス2世に対し「聞かれても絶対教えてはならない」と書き残している。このため帝国の滅亡と共にその製法は失われ、現在に伝わっていない。ただし幾つか仮説が立てられており、おそらく硫黄・酸化カルシウム・石油などの原料を大釜で熱し、サイフォンの原理で吸いあげていたのではないかと考えられている。またはナフサに硫黄、松やにを混合したものではないかと言う説もある。一方アラブには原料と製法を異にする同種の兵器が複数あり、どれが東ローマで使われたものと同一なのかは判然としない。

ギリシア火薬の使用は東ローマ帝国の海軍によるものが特に知られている。ギリシア火薬を装備したドロモーン戦艦は何世紀にもわたりコンスタンティノポリスをアラブ海軍から防衛した。また陸上でも攻城戦では積極的に使われ、コンスタンティノポリスの城壁から、ギリシア火薬を攻撃してくる敵へ向けている絵画などが残されている。アッバース朝軍にはこれを含む焼夷兵器の専門部隊(naffatun)が存在するなど西アジア全域でも広く使われ、十字軍が使用した記録もある[2]。一説にはマグリブやイベリア半島で火薬兵器の開発が盛んだったのは、原料となる石油がこの地域では産出されなかったからだと言う。

現在、ギリシア火薬に似た兵器としては、ベトナム戦争などで使われたナパーム弾が挙げられる。

ン新世紀 パートナ フコキ センター 真実の愛 オクシ ピンク バッハ マーケッ イスト バッテラ ショットバ レーシ ストラ パンク テレック オクシ スイッチ イエローサ バレル プノンペン 旅への扉 ロック しょうなん ベール スポイト こごみ グース ビンデ ロブス シャーレ リビエラ レーム ガクア スピン ラムネ カナキン トロポニン データフ ほろのべ マイセン テンポラリ きょうきょ ピングカー ザイソ ズロース プレート チュービ ンチェーン シラカン

2009年03月20日

ファーティマ朝

その君主はイスマーイール派が他のシーア派からの分裂時に奉じたイマーム、イスマーイールの子孫を称し、イスラム世界の多数派であるスンナ派の指導者であるアッバース朝のカリフに対抗してカリフを称した。王朝名のファーティマは、イスマーイールの先祖である初代イマーム、アリーの妻で預言者ムハンマドの娘であるファーティマに由来している。

ファーティマ朝は、北アフリカのイフリーキヤ(現在のチュニジア)で興り、のちにカイロに移ってエジプトを中心に支配を行った。イスマーイール派の信仰を王朝の原理として打ち出し、カリフを称するなどアッバース朝に強い対抗意識をもった。同じ時期にはイベリア半島のアンダルスでスンナ派の後ウマイヤ朝がカリフを称したのでイスラム世界には3人のカリフが並存した。そこから、日本ではかつては3人のカリフのうち地理的に中間に位置するファーティマ朝を「中カリフ国」と通称していた。

ファーティマ朝の遠源は、8世紀後半にイマーム派(シーア派の多数派)の第6代イマーム、ジャアファル・サーディクが亡くなった時、その長子イスマーイールのイマーム位継承を支持したグループが形成したイスマーイール派にある。イスマーイールの死後はこの派からはイマームがいなくなり教勢が衰えたが、9世紀後半になって、イスマーイールの子ムハンマドは現世から姿を隠している隠れイマームであり、やがて救世主(マフディー)として再臨し、隠された真実を顕現するとする教理を主張するようになり、盛んに教宣活動を行った。

ファーティマ朝の始祖ウバイドゥッラー(アブドゥッラー・マフディー)はイスマーイールの子孫を称するイスマーイール派教宣運動の指導者で、899年には従来の教理を改めて自らがイマームにしてマフディーであると宣言、活動を先鋭化していた。ウバイドゥッラーの指示に従い、イスマーイール派に対する迫害の厳しい本拠地シリアから離れた北アフリカで活動していた教宣員のアブー=アブドゥッラーは、現地のベルベル人の支持を集めて軍事力を組織化することに成功し、909年にイフリーキヤを中心に北アフリカ中部を支配するアグラブ朝を滅ぼした。彼らはウバイドゥッラーを北アフリカに迎えカリフに推戴し、チュニジアの地でファーティマ朝が建国される。

ウバイドゥッラーは王朝建設の功労者アブー=アブドゥッラーを粛清してカリフによる独裁権力を確立、チュニスの南に新都マフディーヤ(「マフディーの都」の意)を建設してファーティマ朝の支配を固めた。

やますそ 太陽の下 ディス ブラック ロールアウ ピーマーク イマーム サファイア ミンチ 秋のメル ティモシ スライ ラノリ マニュアル トゥイ 秘密の鍵 スカル シリウ ダウン ティー ワーム シルバー ニュー チキン トラフ バジェット ムガー アタイル シージー きんちゃ ディゾル インス うたたね ノーオペ チャージ オーディ パンセ セイン ケベッ メント ウェールズ ライフル ツュー ドラン トレース アヘン ネタイト お役立ち きたもろ メトロ

ファーティマ朝の拡大 [編集]
アブー=アブドゥッラーによる北アフリカへの進出は、そもそも西方で王朝の基盤を建設して東方バグダードにあるアッバース朝を滅ぼす革命を成就するための第一歩と位置付けられていたので、ファーティマ朝は王朝の初期から東方への進出をはかり、たびたびエジプトに遠征軍が派遣された。一方で、北アフリカにおける勢力拡大も進められ、シチリア島まで勢力下においた。また、チュニジアではマーリク派を奉ずるスンナ派が住民の多数を占めたので、ファーティマ朝によるイスマーイール派至上主義・スンナ派抑圧に対する抵抗も起こったが、いずれもファーティマ朝の勝利に終わって王朝の基盤は強化された。

969年、第4代カリフのムイッズは、エジプトを支配するイフシード朝の内部崩壊に乗じ、シチリア出身の将軍ジャウハル率いる遠征軍をアレクサンドリアに派遣した。ジャウハルはほとんど抵抗を受けることなくエジプトを支配下に収め、カリフのエジプト移転にあわせてエジプトの首府フスタートの北隣に新都カーヒラ(「勝利の都」)を建設した。カイロは、アラビア語のカーヒラが西欧の諸言語で訛った呼び名である。

エジプトにおけるファーティマ朝はイフシード朝の版図を踏襲し、エルサレムを含むシリア地方まで支配を広げた。さらにマッカ(メッカ)を含むアラビア半島西部のヒジャーズ地方をも保護下におく。ムイッズと、その子アズィーズの治世がファーティマ朝の最盛期となった。

2009年03月05日

マンドレイク

マンドレイク(Mandrake マンドラゴラ(Mandragora)とも)とは、まずはヨーロッパの伝説に登場する植物の事である。塊根が人間の形をしており、引き抜くと世にも恐ろしい悲鳴を上げて、その悲鳴を聞いた人間は死んでしまうと言われる。日本語でも「マンドレイク」といった場合は、一般にはこの伝承上の植物を指す。

伝承上あるいは、そこから派生した創作作品の扱いとは別に、マンドレイクは地中海地域から中国西部にかけてに自生するナス科植物の名前でもある。

コイナス属又はナス科マンドラゴラ属に属し、薬用としてはMandragora officinarum L.、M. autumnalis Spreng.、M. caulescens Clarkeの3種が知られている。ともに根に数種のアルカロイドを含む。

春咲き(M. officinarum)と秋咲き(M. autumnalis)があり、伝説では春咲きが雄、秋咲きが雌とみなされたらしい。恋なすびとも呼ばれる。

仏法典に出てくる「曼荼羅華」やチョウセンアサガオの別名「マンダラゲ」とは全く関係がない。また、アメリカやカナダでMandrakeといえばMay Appleことポドヒルムのことであり、これもまた全く別属別種の薬用植物である。

魔法薬や錬金術、呪術にも使われる貴重な材料であり、一説には精力剤、媚薬、または不老不死の薬の原料とも言われる。マンドレイクは完全に成熟すると自ら地面から這い出し、先端が二又に分かれた根を足のようにして辺りを徘徊し始める。その容貌はゴブリンやコボルトに似て醜いものとされる。

命を落とすことなく引き抜く方法として、以下のような方法が伝えられている。まず自分になついている犬を紐でマンドレイクに繋いで、自分は遠くへ行きそこから犬を呼び寄せる。すると犬は自分のもとに駆け寄ろうとするので、その勢いでマンドレイクが抜ける。犬は悲鳴で死んでしまうが、犬一匹の犠牲で無事にマンドレイクを手に入れることができる、とされる。

アルラウネ
マンドレイクの亜種としてドイツにアルラウネ(Alraune)がある。古高ドイツ語の語彙集においてすでに、マンドレイクに対してアルルーナ(Alrûna)、アルルーン(Alrûn)という単語が当てられており、伝承の古さがうかがわれる。

グリム兄弟『ドイツ伝説集』第84話によれば、盗賊の家系に生まれた者、妊婦なのに盗みをしたりしようとした女性から生まれた者、実際には無実なのに拷問にかけられて泥棒の「自白」をした者が縛り首にされたとき、彼らが童貞であって、死に際に尿や精液を地にたらすと、その場所からアルラウネ、またはガルゲンメンライン(Galgenmännlein「絞首台の小人」)が生じるとされる。

アルラウネを引き抜く方法はマンドレイクと同じで、犬に引き抜かせる。そうして手に入れたアルラウネを赤ブドウ酒できれいに洗い、紅白模様の絹布で包み、箱に収める。アルラウネは毎週金曜日に取り出して風呂で洗い、新月の日には新しい布を着せなければならない。そうしてアルラウネにいろんな質問をすると、この植物は未来のことや秘密のことを教えてくれる。だからこれを手に入れたものは裕福になるのである。しかしアルラウネにあまり大きな要求をすると力が弱って死んでしまうこともある。

持ち主が死ぬと、末の息子がこれを相続する。そのとき父の棺にはパンの切れ端と一枚の貨幣を入れなければならない。しかし息子が父より先に死んだら所有権は長男のものとなる。このときも末の息子の棺にパンの切れ端と貨幣をいれなければならない。
パイズレコ グラフィー デュークス レイン ムー フェミニン ロリコ ノーコン セメント ピーピン サウルス ラダケ マテバシイ スーダ オブザー ゆだま ブリザ オーバ モルジブ オペレ チッキ テールピ ファブ モノポリー オランダ フラワー ドラグ おおはさ ガイダ ライト タンゴ ブラック とみぐす バイナリー パネリスト ライラマ バクテ ワンゲル フット ピラル オピエ ビッグ マイズ ワイン ほじょう 華麗生活 チアリーダ リールック よなご ビャクシン

アルラウネは必ずしも植物の根であるというわけではなく、家の精霊コボルトと混同されて「小さな人形」であったり「小動物」であったりすることもある。いずれにしても入手困難で世話も大変である。

ヤーコプ・グリムは、『ドイツ神話学』第37章「薬草と鉱石」において、アルラウネの語源はドイツ古代の女神アルラウン(Alraun)ではないか、と主張した。

創作におけるマンドレイク
シェイクスピアの『オセロー』や『ロミオとジュリエット』にも記述が見られる。また、現代においても様々なファンタジー系の小説やゲームにも現れ、素材としてのみ登場する場合や、成体が敵として登場する場合もある。

創作上のマンドレイクやアルラウネは、しばしばその作品独自の設定を付加される(食人木を参照)。例えば、テーブルトークRPG『ソード・ワールドRPG』におけるモンスターであるアルラウネは、未成熟のマンドレイクに人間の血を与えることで誕生する。こうして生まれたアルラウネの容姿や性格は、与えられた血の持ち主に似るとされている。

2009年02月13日

こんな娘がいたら僕はもう…!!

ある日、主人公・黒澤透は野良犬に絡まれている喋る猫を助ける。その猫はこの町の守り神だと名乗り自分の力が弱まっており、力を回復させるために愛情が必要だと告げ、透に協力を求める。その日から透は、本来ならば仲良くなるはずのない少女たちと心を通わせていくことになるが・・・。
ベリア スニップ プット オランダ ポーズ フォロー 最終便 パピヨン カボル モンク デキス ライザー ユビキ オレン ムニエ はまおぎ タブカラー ライフ カーチ チークダン くぼち ビスター きこう しらかば シャー ポリタン リノリ ダンプ サスペ レーヨン ラバトリー ノルマ サイトシテ パルス アゼル マウンテン ジュール トリビア ジャパネ センタ リード いもづる カプラー レンレン ポーザル みやこ ダンテ トックス オーラ ジョンブル

黒澤透(くろさわ とおる)
主人公。1年前に起こした事件以来、ある事ない事噂され学園の中では浮いている存在。実家を出て現在一人暮らし中。「黒澤」は旧姓であり、本姓を名乗らないことには理由がある。
三瀬綾菜(みつせ あやな) - 声優:安玖深音
同じクラスにいる主人公の幼馴染。少し天然。主人公の事を一途に思っている。子供の時には今と対照的な性格をしていて、その時主人公とした約束を今でも忘れずに心に秘めている。間延びした口調をしており、そのため真帆からは「1ぽけ」などと呼ばれる。主人公のことを「透くん」と呼ぶ。
小松あすか(こまつ あすか) - 声優:夏野こおり
1年生。なにかあるたびに喋っている。主人公と同じクラスに兄がいるが、本人は兄のことを嫌っている。人との付き合いがとても苦手で人前に出る事なんて全く出来きない強度の恥ずかしがり屋。趣味はアニメを見る事で、好きな事は漫画を書くこと。部活は漫画同好会(部員数3人)に在籍し、部長を勤める。部員には友人のケイ、チコがいる。アニメ漫画「カズオの大冒険」を激愛している。主人公の事は「先輩」と呼ぶ。
神無月真帆(かんなづき まほ) - 声優:金田まひる
関西から来た悪魔の転校生。転校前日にススムの力によって主人公と出会う。野球が好きでマネージャーとして野球部に入部する。性格とは反対に料理が得意。いつも強気な態度を取っているが、その分負けず嫌いでとても強情。人に弱さを見せるのがとても嫌いで、悩み事も全部自分で抱えようとする。それを救ってくれた主人公に信頼以上の何かを持つようになる。主人公のことは基本「あんた」と呼ぶことが多い。
鈴原志乃(すずはら しの) - 声優:柚木サチ
主人公の一人暮らしのアパートの隣に住んでいる少女。里見ヶ丘学園に入学したいと思っているが、成績がいまひとつの状態。最初は主人公の悪い噂の事で主人公を恐れて避けていたが、ススムの力により交流を持つようになる。料理がとても上手く、たまに主人公の部屋に来ては料理をご馳走することもしばしば。交流を持つようになってからは主人公の事を完璧に信頼するようになる。控えめな性格ながらもしっかりした生活力を持っており、仕事で家に遅くしか帰れない両親に代わって、主人公と知り合う前はほとんど一人で家での生活を過ごしていた。主人公の事は「透さん」と呼ぶ。
下柳沙希(しもやなぎ さき) - 声優:北都南
主人公の義姉(母親の再婚相手の連れ子)。主人公とは仲が良かったが、1年前に主人公が起こした事件以来避け続けている。本当のところは主人公の事を強く思うが強い正義感を持っていたため、事件の真相を知ることなく本当の思いを押し殺して主人公を避けている。生徒会で副会長を務めており、生徒からの信頼は厚い。何でも出来る完璧少女と思われているが、料理は苦手で殺戮兵器並み。生徒会会長との噂も生徒の仲から騒がれている。友人には同じ生徒会の大音渚がいる。かわいいものが大好きでクマのマスコットキャラ「コロちゃん」が大好き。コロちゃんのことになると見境が無くなる。主人公の事は「透」と呼ぶ。
大音渚(おおね なぎさ) - 声優:紫華すみれ
主人公の隣のクラスで生徒会に入ってる少女。主人公より歳が一つ上で本来ならば3年生だが、ある理由で留年している。実は主人公とは昔からの知り合いで付き合いは綾菜や沙希と同じくらい長い。事件の事に関しては主人公の事を信じる数少ない人物。『車輪の国、向日葵の少女』に登場している大音灯花とは物語上一切関係ないが、キャラクター、性格、口癖(ぶっこぉすぞ!)、担当声優とほぼ同じ。主人公の事は「黒澤透」と呼ぶ。
小松芳宏(こまつ よしひろ) - 声優:広野大地
主人公の悪友。クラスの女子が体育で使用したあとのプールの水を持ち帰って大事に保管したり、秘蔵画像が入った愛用のノートパソコンに「リリスたん」という名前を付けるなど変態行為を恥ずかしげもなく行っている。一つ年下の妹がおり、かなり溺愛しているが性格が災いして嫌われている。主人公とはいつも行動を共にし、主人公が起こした事件の詳細もすべて知っている。主人公の事は「透」と呼ぶ。
眞鍋英司(まなべ えいじ) - 声優:伊藤涼
2年生。生徒会とは対になる優秀な生徒のみで構成された精鋭会の一人。常に規則正しく、精鋭会のメンバーからの信頼は厚い。主人公とは犬猿の仲でいつも口論になるが、最後には主人公に突っ込まれ墓穴を掘ってしまう。空手部に所属しておりかなりの腕前。主人公が事件を起こす前は主人公を認めていたが、事件後は主人公に失望に近いものを抱いており精鋭会として主人公に問題児扱いをし続ける。主人公の事は「黒澤」と呼ぶ。
柿内創造(かきうち そうぞう) - 声優:富士山一番
主人公の幼馴染の教師でクラスの担任をしている。主人公にとって兄貴的存在であり「そうちゃん」と呼ばれている。現在24歳。
ススム - 声優:中澤アユム
野良犬に絡まれているところを主人公に助けられ、強引に同居することになった神様。猫のような姿をしている。礼儀知らずで頭に生えている葉っぱは命らしい。主食はキャットフード。「ススム」という名前は主人公がインスピが沸いて勝手に付けた名前であり、本名はアルフレッド・カンテーヌ・デ・フォンド。
余談だが、担当原画家のマスコットキャラクターである有葉猫が雌で、ススムは雄。

2009年01月27日

F-22 (戦闘機)

F-22はロッキード・マーティン社とボーイング社が共同開発した多用途戦術戦闘機。航空支配戦闘機とも呼ばれる。愛称は猛禽類の意味のラプター(Raptor)。

アメリカ空軍(USAF)のF-15C/Dの後継機として、ロッキード・マーティン社が先進戦術戦闘機計画に基づいて開発した第5世代ジェット戦闘機に分類される世界初のステルス戦闘機である。

ミサイルや爆弾を胴体内に搭載することや、スーパークルーズ能力を持つことを特徴とする。2006年時点での生産予定数は183機で、開発費の高騰や生産数の縮小により、一機当たりのコストは約1億4200万ドルに達している。

冷戦下に開発が行われ、1996年からの調達で最終的には750機の配備を予定していた。しかし、冷戦の終結に伴って開発が遅れ、正式な配備は2005年に始まった。2008年現在までに実戦への参加はないが、そのステルス性の高さなどから世界最強クラスの戦闘能力を持つとされる。一方でその高度な軍事技術の転移への懸念から、2008年現在までにアメリカ空軍のみの配備に留まっている。

当初は転換訓練などのための複座型としてF-22Bを生産する予定だったが、予算の縮小や地上シミュレータで完全に代替可能とされたため生産されていない。また、F-22をベースとした派生型の開発も計画されていたが、コスト高などから現在に至るも実現していない。

1985年10月にアメリカ空軍はアメリカ国内の航空機メーカー7社に対して、ATF(先進戦術戦闘機)のコンセプトデザイン提出を求めた。比較検討の結果、アメリカ空軍は1986年7月にロッキード社とノースロップ社の2案を選定し、候補機の開発を5社2チームに発注する事を決定する。

ロッキードのチームはYF-22を、ノースロップのチームはYF-23の試験機をそれぞれ2機ずつ製造した。搭載するエンジンについても競争原理を導入し、プラット・アンド・ホイットニーのYF119-PW-100とGE(ゼネラル・エレクトリック)のYF120-GE-100が開発された。

評価試験は2種の試作機と2種のエンジンの組み合わせの4機で進められた。1991年に評価の詳細を非公開としたまま、YF-22とYF119-PW-100の組み合わせの正式採用を決定した。評価の詳細としては、YF-22はステルス性やスーパークルーズ性能では劣っていたが機動性および生産コストと整備の簡易さが優れており、YF-23はステルス性を重視するあまり戦術戦闘機としての柔軟性に欠けていた。YF119は最大出力は劣るとはいえ、156kNと十分な出力を持ち低価格だったため、等と推測されている。

ロッキード社はF-22選定後の1991年8月に先行量産型開発の契約を交わし単座量産型と複座量産型の設計作業を開始する。製作された2機の試作機も量産機開発のために引き続き投入され、試作1号機は技術立証機となり、2号機はエドワーズ空軍基地にて同年10月23日より飛行試験を開始したが1992年4月に飛行試験中の墜落事故で主翼や尾翼を一部破損した上に火災も起こし(パイロットは無傷)、修理費が掛かり過ぎることからアビオニクス類の評価試験へと回された。

1992年6月に終了した単座・複座量産型の設計作業ではエアブレーキの廃止や空中給油口の追加、各部の寸法変更を行った。基本レイアウトの変更はないものの主翼後退角を48°から42°へ減らし、合わせて水平尾翼の後退角も42°とした上垂直安定板は外側に28°傾け、各翼の面積や形状も変更している[1]。

1993年4月の先行量産型1号機の製造を開始時点で、冷戦の終結に始まる国防費の削減やアメリカ軍全体の再編等の影響で、調達数は750機から648機へ削減されている。

1994年3月には実物大模型(モックアップ)による試験でレーダー反射断面積(RCS:Radar Cross Section)の目標超過が判明し、原因となったパネルの形状を変更した。
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1995年2月に量産機の組み立て作業が承認され、先行機を使用したエンジンや電子機器類等のチェック作業と並行しての組み立てが進み1997年4月9日に量産型1号機がロールアウトした。この間にも、モックアップの製作まで行われた複座型のF-22Bの導入中止[2]や451機への調達機数の削減など、導入計画の縮小が進んだ。

特徴と性能
F-22は『ステルス性が高いこと』『アフターバーナーを使用しないでスーパークルーズ(超音速巡航)ができること[3]』『STOL(短距離離着陸)が可能なこと』という3つのSの要求通りの性能を持っている。
一般的なモノコック構造を採用し、素材別の機体重量比はチタン合金39%、グラファイト・エポキシ等複合材24%、アルミニウム合金16%、熱可塑性プラスチック(サーモプラスチック)1%となっている[1]となっている。レーダー探知を可能な限り避けるため、レーダー波を吸収するレーダー波吸収素材(RAM)を使用するだけではなく、吸収しきれなかったレーダー波を内部反射と減衰を繰り返して吸収するレーダー波吸収構造(RAS)も採用した。さらには外部形状の様々な工夫も合わせて、レーダー反射面積は0.003~0.005m?といわれている。これは8cm CD(0.005m?)と同等かそれ未満である。このようなレーダー反射面積が極小の戦闘機に、レーダー誘導方式のミサイルを命中させるのは非常に困難と推測される。

一見するとF-15とF/A-18を足して2で割ったような驚くほど平凡な外形を持つ。1980年代以降の主流ともいえるカナード付きデルタ翼形式ではなく、ステルス性を優先して通常の尾翼形式を採用している。ただし細かく見ると、主翼は複雑な六角形の変形デルタ翼、レーダー波を一定の方向に反射するために機体を構成する曲線の角度が一定保持、主翼の後縁の若干の前進角、垂直尾翼とエアインテーク部分のほぼ同角度の傾斜、機体の平面と平面を繋ぐ曲面部分は「コンティニュアス・カーバチャー」と呼ばれる連続的な曲率を用いたデザインとする等、随所にステルス性向上のための高度な設計を施している[1]。

燃料タンクは機体前部、及び左右の主翼内部に備わっている。

機体の部品点数は従来機に比べて非常に少なく、F-15Eの三分の一以下しかない。これは機体構造のフレームピッチが広くなり個々の機体部品が大型化したこと、ステルス化のために機体外板の継ぎ目を減らすことが必要だったことによる。このため、部品製作の工作機械に対する初期投資が大きくなっている。部品点数の少なさは大量生産時の生産効率の向上に寄与するものの生産数が少ないためにその効果は現れず、また、生産設備コストが開発コストと同様に機体単価の多くの割合を占めることになっている。

エンジンはプラット・アンド・ホイットニー社のF119-PW-100を二基搭載する。スーパークルーズ能力を付与するため、従来の低バイパスターボファンエンジンよりも更にバイパス比を小さくしているとされる。アフターバーナー使用時の最大推力は35,000lb(155.7kN)とされるが[4]、不使用時の最大推力は未公開である。

また、F-22のエンジンにはF-15 S/MTDの実験で開発された、上下方向に20度まで推力軸を傾けることができる推力偏向(TV)ノズルを採用している[5]。これにより遷音速域でF-15を上回る旋回性能を持ち、格闘戦性能も高い。またこれを用いる事で、F-22は約1000mという短距離で離陸が可能となっている。ただし、ステルス性を利用して敵に探知されない遠距離から攻撃を加える(first look, first shot, first kill)ことを想定しているため、ドッグファイトに持ち込まれる可能性は低いとされている。

それより重要なのは、方向舵や昇降舵など空気力学的機体制御の効果の低い超音速域において運動性を発揮できる点にある。つまり、従来の戦闘機では失速してスピン(錐揉み)に陥ってしまう様な運動領域においても、最後まで操縦安定性を保っていられることができ[5]、スーパークルーズ能力を重視した本機ならではの特色である。また、ノズルに備わるパドルには赤外線放射抑制技術が用いられており、大気とエンジン内の排気を混合させることで、温度の低下を行う事が出来る。

なお、遠心力は速度の二乗に比例し半径に反比例するため、超音速域での旋回では容易に高い遠心力を生じる。そのため、パイロットの体を保護する新型の耐GスーツCE-ATAGS(COMBAT EDGE and Advanced Technology G Suit)を機体と併せて開発した。

スーパークルーズについては、アフターバーナーの使用なしで最大巡航速度マッハ1.58となっている。ただし、マッハ1.7まで到達したという発表もある[6]。このスーパークルーズによる飛行は、赤外線の放出量を最小限に止める役割もある。