« 有機JAS規格 | メイン | 日本政府は終戦によって軍人や強硬派政治家 »

上野長野氏(こうづけながのし)は

上野長野氏(こうづけながのし)は、戦国時代まで上野国西部を支配していた大身である。上州長野氏とも。

『伊勢物語』の主人公であるとされる在原業平が、関東に下向したことが始まりであると言われているが、もとより伝承の域を出ない。

上野長野氏の第30代当主・長野憲業(または第29代当主の尚業)が名城・箕輪城を築城した。戦国時代中期まで上野国は関東管領の山内上杉氏の領国であり、守護代の長尾氏(白井長尾家、総社長尾家)の本拠地も上野に存在したため、長野氏はその上杉氏の下で上野国西部の豪族を取りまとめて『箕輪衆』を結成し、上杉氏・長尾氏に仕えていた。しかし、上杉氏と長尾氏が享徳の乱・長享の乱や長尾景春の乱などで衰退すると、長野氏は徐々に頭角を現し、河越夜戦で大敗した関東管領上杉憲政が北条氏康に敗れて上野国を追われた後も、長野氏当主の長野業正は箕輪衆を取りまとめて、婚姻政策などにより西上野の支配圏をなおも維持した。この業正に対し、北条氏康や甲斐・信濃を支配する武田信玄が上野西部に何度も侵攻して来るが、業正は寡兵でありながらこれを何度も撃退した。
園芸 検定 宿泊施設 専門学校 地域情報 メイク 旅行代理店 フレグランス フランチャイズ 介護 健康 ローン 抜け毛 お土産 スクール 飲料水 学習 キャンプ場 ネイル 産業 しみ取り 起業 家具 内職 旅行 介護 事務用品 アレルギー 不用品 パソコン 海外 教育 教育 関東 ケア 動物園 ネイル 雇用 育児 タロット 暮らし 介護 贈答品 家庭教師 墓地 語学 信越北陸 コスメ 公園 豊胸


しかし1561年、長野業正が死去した隙を突いて武田信玄が上野西部に侵攻してくると、業正の子の長野業盛は頑強に抵抗したが、1566年に敗れて自害し、上野西部は武田氏の支配下に入ったのであった。

その後、長野氏の一族は武田氏の滅亡後、箕輪城に入った井伊氏に仕えることになり、井伊家の次席家老として転封に伴い滋賀県の彦根に赴き、幕末を迎えた。

長野氏の一族としては、鷹留長野氏、厩橋長野氏があるが、いずれも箕輪の長野氏と前後して没落している。

About

2009年06月06日 09:03に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「有機JAS規格 」です。

次の投稿は「日本政府は終戦によって軍人や強硬派政治家」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35